プロフィール
こんにちは。45歳で念願の正看護師になれた主婦看護師です。
なぜ45歳でなったのか?
長い長い旅がありました。
ここでは、いろんな経験の末、目標達成したことを書いていきたいと思います。
この記事のもくじ
若気の至り
看護師を目指そうと思ったのは、20歳のときです。
それまで私は、オシャレが大好きで高校生の頃ファッションデザイナーに憧れ、デザイン学校へ進学したい!と母に言っていました。
しかし、看護師である母はデザイナーで食べていける人は、一握り!と反対され、諦めざるを得なくなり、准看護学校へ行きながら病院で働いたらと言われて、しぶしぶ病院の就職試験を受けることになりました。
私は、全く興味がなく怖がりなので、お化けが出そうな病院の夜勤なんかどうしても出来ないと思い、就職試験の面接でとてつもなく変な人を装い落としてもらおうと計画を練り実行しました。
結果、見事に不合格!!
で、私は大喜び!!
母は残念がっていましたが、これで看護師にはならなくて良いと気が楽になりました。
しかし、進路が決まっていない私はとりあえず何かしないといけないので、洋裁の職業訓練校に行きました。洋服が作れる楽しさはありましたが、終了したら工場でひたすら毎日ミシンで縫う日々になることが苦痛で、デザインがしたい私は就職はせずアルバイトばかりしていて、今でいうフリーターでした。
准看護学校へ入学
アルバイトばかりしていた頃、3つ下の妹は高校の衛生看護科へ進学していて、母と医療の話ばかりしていました。
その時、私はその話に入っていけない寂しさがあり医療事務のアルバイトをし、少しでも会話に入ろうとしました。
やっと少しは話に入っていけると思っていた頃、この先の人生をふと考え、
自分には何もない!ヤバイかも。。。
と、思い看護師になったら、家族の会話に参加できるし社会的地位が確立されると考えて准看護学校へ行く決心をしました。
動機が不順すぎますよね。。。
学費支払いのため、働きながら21歳で准看護学校に入学し勉学に励みました。
医療の勉強はとても面白く、家族の会話にも入っていくことができ自分の居場所を確立することが出来ました。
勉強は楽しかったのですがやがて実習の時期がやってきて、当時はアナログ時代、全て手書き、書いて書いて書きまくりほとんど寝れないまま実習に行くという死にそうな毎日でした。
実習の時は、グループのリーダーでよく怒られていました。
今でいうパワハラもありましたが、実習生は立場が弱いので皆でよく泣いていたのを思い出します。
正看護師学校へ進学と就職そして挫折
そして、23歳で准看護師免許を取得、その後正看護師の学校へ進学、そこは大学病院の附属校で、大学病院で准看護師として働きながら、正看護師の学校へ通っていました。
寮に入っていたため、友達と遊び回る楽しい日々を過ごしていました。
そんな時、最終学年の3年生を間近に控え、1年間は実習に行かなければなりません。
また、あの恐怖が始まると思うと耐えきれない思いが込み上げてきて、「もう無理」となり退学してしまいました。
新たな道へ
その後、准看護師として美容外科で働きながら、夜間のデザイン学校へ通い出しました。
やっとやりたかったデザインの勉強ができると思っていましたが、当時服飾は昼間部しかなく、またもや学費を稼がないといけないため、夜間部でデザインの学校を探したところグラフィックデザインの学校になってしまいました。
やりたいことは違うけれど、デザインというところが一緒だし、絵を描くことも好きだったので、まぁいっか!という軽い気持ちで入学することにしました。
入学したらみんなとても絵が上手でびっくりしました!
やっぱり間違えたかなぁと薄々感じていましたが、イラストを描いたり自分を表現することは楽しかったのを記憶しています。
そして、ここでの学生生活で私の人生を大きく変える出来事がありました。
それは、運命の人とめぐり合うことができたのです。
運命の出会い
めぐり逢えたのは会えたのですが、彼はなかなか振り向いてはくれず、アプローチしても断られ続けて合計8回も振られていました。
ヒドイ!!
嫌がってはいなかったと思っていたので、9回目もアプローチしたところ根負けしたのか、オッケー!!してくれました。
努力が報われ感無量!!
これは今ではネタとして使っています。
よく心折れなかったね。とか、そんなに心強かったら実習なんて乗り越えられたんじゃないとか、色々とコメントしてもらえますが、私の中で運命の金が鳴ってしまったので絶対に成功させなきゃ!と強い意思が勝手に生まれてしまい起き上がり小法師のように、倒れてはまた起き上がりを繰り返し成功へと導きました。
彼からしたら迷惑ですよね。。。
第2の人生
そんなこんなで、お付き合いしていただいて結婚してもらえました!
やったー!!
これは本当に嬉しかったんです!
あ、でもプロポーズはなく私がしました。。。
してくれそうもなかったので。。。
そして、2人の子供を授かり専業主婦で子育てに奮闘していました。
猟犬も飼っていて、小型犬と違いやる事がすべて激しく離乳食も食べられてしまったりとハチャメチャでしたが、3匹の子ブタは可愛くて私の宝物。
あ、彼もですよ。
この期間は看護師をやりたいと思わなかったんですよね。
とても充実した日々で、しあわせな毎日でした。
精一杯、愛情を注いで後悔しない子育てをしていました。
子育て中の自分
昔から好奇心旺盛な私は、何かしたい衝動に駆られて、昔していた書道教室に通ったり、ヨガ教室に通ったりして楽しんでいました。
書道は師範の資格を取得し、ヨガはインストラクターを取得しヨガ教室を行っていた時期もありました。
ヨガはとても自分にあっていて、心と身体をリフレッシュでき体調も良くなりますのでオススメです。
准看護師として復帰
下の子が小学校へ入学したのを気に復帰しました。
この時ブランク9年です。
久々の医療行為は手が震えてプレッシャーに押しつぶされそうになる日々でした。
9年も臨床から離れるといろんな事が変わっていて浦島太郎状態です。
そんな時、きちんと学んだ方がいいなぁ。。。
と思い、正看護師の学校でいつか学び直したいと本気で思うようになりました。
看護大学短期大学部の通信制課程へ入学
下の子が中学校へ入学したのを気に看護大学短期大学部の通信制課程へ入学しました。
通信制課程は准看護師として実務経験が10年以上必要となっていましたが、私が入学した年から7年になりました。
それまでは10年必要だったのでハードルが高かったですね。
この時、43歳です。。。
20年ぶりの勉強で、仕事と家庭、子育て、学校の両立ができるのか不安だらけでしたが、若い時退学しているのでここで頑張って克服しなければ!という思いが強くやりきる覚悟で入学しました。
22年ぶりの学生生活
学生生活が始まり、レポートの多さにびっくり!!
やらなければよかった。。。と後悔する毎日でした。
でも前へ進むしかないので、だいたいでやろう!と気分を変えることにしたら、何とかなりました。
学生になってよかったことは、友人が増えたことです。
この歳になって苦楽を共にできる友人ができたことは財産です。
2年間大変でしたが、自分だけのために時間を使うことはとても有意義でした。
国家試験の勉強は、だいたいではできないので全力でやりました。
おかげで老眼が進んでしまうはめに。。。
近くが見えないのは辛いです。
削げが刺さっても見えないから取れないんです。
そんなこんなで無事『卒業』する事ができ、『看護学 学位』も取得、『国家試験』にも『合格』する事ができました。
やったー!!
これからは、胸を張って正看護師として頑張ります。
家族にも感謝です。
最後に・・・
この歳になると守らなければならないものや、やらなければならない事がたくさんあります。
でも、若い頃に比べると人生経験も豊富になり、いろんな局面に対応する能力が身についていると思います。
そんな今だからできる事なのかもしれませんね。
今この時が一番若く、明日になれば1日老化します。
悲しい現実。。。
やりたい時がやれる時だと思います。
准看護師から通信制課程への進学に悩まれている方、進学して学生生活に悩まれている方の道しるべに、少しでもなれれば幸いです。